コンパスは月を指す

宇宙旅行を考える駆け出し宇宙工学者。 Twitter: @astro_kuboy

第0回 僕は宇宙に行けますか?

1969年7月21日、人類が初めて地球外の大地に足を踏み入れた。NHKの生中継の視聴率は68%を記録し、実に世界中で6億人以上がブラウン管テレビに映し出される歴史的快挙を食い入るように見つめた。極めて粗い画質の中を白いぼやっとした光がゆっくりゆっくりと下っていき、やがて、降り立った。人類にとってあまりにも偉大な一歩である。「もうすぐみんなが宇宙に行ける時代が来る」、「将来はきっと私も地球の外で生活するんだ」、そんな未来を数億人もの人が想像したに違いない。そこには無限の想像力があった。

 

 

アポロ11号の月面着陸から、今年で50年が経とうとしている。

僕はちょうど24時間営業のスーパーで買ってきた半額メンチカツにぽてぽてとソースを垂らしたところだ。はてさてどういうわけか、2019年の僕はいまだに宇宙に行けていない。というか行ける目処も全く無い。50年前人類が確かに手中に収めたはずの月はいつの間にかするりと手の隙間から逃げ、38万km彼方に帰っていった。みんな「宇宙にはロマンがあるよねえ」なんて他人事のようにつぶやきながら、今日も地球の重力にとらわれて生活を送っている。メンチカツをぽそぽそとかじる。しなしなの衣をまとった彼は肉汁という概念をどこかに置き忘れたらしく、口の中の水分をかき集めながら申し訳なさそうに喉を通り過ぎていった。今夜は月が見えない。うっすらとかかった雲だけが、空と僕との距離をやけに正しく映していて、なんだか少し腹が立った。

 

 

現在、開発中の物を除けば人間を宇宙に運ぶことのできるロケットはロシアのソユーズのみだ。ソユーズの打ち上げは年に4回ほど。一回に2~3人しか乗れないので年間で10人程度の宇宙飛行士しか宇宙に行けない。そもそも宇宙飛行士になるには、日本では10年に1回あるかないかの極めて不定期な宇宙飛行士選抜試験を受け、何百倍もの倍率の試験を通過しなければならない。合格者は1~3人。求められる人材は国際的な情勢に大きく左右されるので試験対策は難しい。もしくは旅行として宇宙に行きたければ、それはそれは相当な大金持ちになる必要がある。ちなみにZOZOの前澤社長が買ったチケットは1席100億円ぐらいだそうだ。今日から毎日コツコツと500円玉貯金をしていっても、西暦56814年にならないと宇宙には行けない。

 

 

半額しなしなメンチカツを強引にお茶で流し込み、天井を見上げる。蛍光灯の内側の輪っかだけ切れていて、金環日食みたいだ。どうやったら僕は生きているうちに宇宙に行けるのだろうか。どうやったらあの50年前の熱狂は、再びみんなの中に沸き起こるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

「俺は、お前が宇宙からの生中継で『地球のみなさ~~ん、こんにちは~~』なんて言いながら手を振っている姿、想像できるよ。ほら、人間が想像できることって実現できるって言うじゃん。俺は想像できる。だから、お前宇宙行けるよ。」

2年半前に僕が大切な友人からもらった言葉だ。彼はそんな、脇腹がちょっぴりむずがゆくなるようなセリフを、一切の迷いなく大真面目に僕に語ってくれた。江古田の小さな焼き鳥屋の隅っこで、その時僕はたしかに宇宙のしっぽを掴まえたような気がしたのだった。

 

 

 

 

 

 

さて、このブログはひとつの質問から始めようと思う。

あなたは、自分が生きている間に宇宙に行けると思いますか?

 

 

ちょっと想像してみてほしい。1日30本以上の月への定期便。価格は1席100万円前後で、ちょっとお高いファーストクラスでヨーロッパ旅行に行くぐらい。しょっちゅう行くのは無理だけど、一生に一回ぐらいならその気になれば行ける。訓練は特に受ける必要は無い。飛行機のようにプロのパイロットが2人体制できちんと操縦してくれるので、私服のまま乗り込んで座って待つだけ。離陸の瞬間はすさまじい音と振動でさすがにちょっと不安になるけど、10分もすればあっという間に宇宙空間に出る。船内は意外に空調の音とか隣のおばちゃんの声とかがうるさくてちょっと興醒めするかもしれないけど、そこはまあご愛嬌。そこから約3日間の月への旅の間は、息を呑むような星空を眺めたり、シートベルト着用サインが消えている間はふわふわと無重力状態を体験して、調子に乗って宇宙酔いしちゃったり。機内食は飛行機で出るのとあまり変わらないので、昔の流動食のようなまずい宇宙食を食べることはない。ひととおり楽しんで暇になったら映画を観たり音楽を聴いたりゲームをしたりして、ゆったりと過ごす。有料だけどWi-Fiも完備されていて、家族や友人に「星空くそえぐい」とか「トイレすんのまじむずいんだけど」とか「さすがに温かいシャワー恋しすぎる」とかTwitterで実況できる。2日目には宇宙船の旅にも慣れてきて、船内後方の窓から見える地球がどんどん小さくなっていくと、自分がどこか違う星から来た宇宙人になったような気分がしたり、逆に目的地の月はどんどん大きくなってきて、一面灰色のぼこぼこした大地は地味な色だけどそれが逆に神秘的なオーラを放って見えてくる。長旅の末ようやく月に着陸すると、窓の外には遠隔操作の作業ロボットがせっせと積み荷を運んでいて、かわいらしい。着いたらすぐ月の地下洞窟にあるホテルでひと休み。レンタル宇宙服で月面散歩したり、地球を手のひらに乗せている写真を撮ってみたり、月面探検ツアーでは今も置き去りにされているアポロ11号の着陸船やすっかり色落ちしたアメリカの星条旗を見られる。絶対に外しちゃいけないのが、日の出ならぬ地球の出を見るツアー。いつも見るのよりも少し丸みを帯びた地平線から、嘘みたいに鮮やかな青色の惑星がぬうっと現れるその感動は、間違いなく一生忘れられない思い出になる。ここ月面では今日もホテルマンや、作業員、料理人、清掃員、ツアーガイド、パイロット、たくさんの人が生活していて、新たな仕事や産業が生まれている。国民総宇宙旅行時代だ。

 

 

じゃあ、質問を少し変えよう。

あなたは、自分が生きている間に宇宙に行っている姿を想像できますか?

 

想像できた?ほら、人間が想像できることって実現できるって言うじゃん。遠い未来じゃない。必ず来る未来だ。僕は本気で想像している。「宇宙にはロマンがあるよねえ」とか他人事のように言って目を背けている場合じゃない。

 

 

 

このブログは、来たる国民総宇宙旅行時代の実現に向けてあなたの想像力を全力でかきたてるためのものだ。想像を膨らませるにはある程度の知識や好奇心が必要なので、宇宙工学を研究している僕が宇宙旅行をするにあたって必要だと思う知識や、これはおもしろいぞ!と思う宇宙の話を提供する。けれど、例えばこれはコンパスのようなものだと思ってほしい。正しい方向がどちらかを示すだけだ。このブログを読んで、「へえー、やっぱり宇宙には夢があるんだなあ(鼻ほじほじ)」なんて呑気に言っているうちは、残念ながら絶対に生きているうちに宇宙に行くことなんかできない。思う存分想像してほしい。コンパスの針は今、月を指すように調整してある。少しずつ、少しずつ、想像の枠を広げていこう。正しい知識と好奇心の上に成り立つ想像は僕らの体をまっすぐに目的地に導いてくれる。

 

 

 

でもまあ、そう硬くならずに肩の力抜いてね。僕も楽しみながら書いていこうと思う。じゃ、はじめますよ。

 

 

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追記

この記事を書いた後で、NASAで働く小野雅裕さんの著書「宇宙に命はあるのか」を読んだら、第二章の最後にほぼ同じことが書いてあってびっくりしてしまった。タイミング的に僕の方が完全にパクリになってしまうが、まあそんなことよりも同じ思いの宇宙工学者の方がいてくれたことが非常に嬉しかった。小野さんの著書を読んだことのない方は是非一度読んでみてほしい。情熱的で、美しく、心の奥底から人をつき動かす素晴らしい文章を書く方だ。実は僕の大学の専攻の大先輩に当たる。

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