コンパスは月を指す

宇宙旅行を考える駆け出し宇宙工学者。 Twitter: @astro_kuboy

第3回 どうして僕は宇宙人なんですか?

 

無骨なエレベーターのドアがのっそりと開くと、あたり一面は灰色の大地だ。これから人生初の月面散歩に出かける。一歩一歩踏み出してみると、体重は地球より随分軽いはずなのに、宇宙服はゴワゴワしていて歩きづらく、軽快なんだけど窮屈なような、妙な感じがする。10分ぐらい歩くとようやく慣れてきて、辺りを見回す余裕も出てきた。無線から聞こえてくるツアーガイドの話もそっちのけで、ぼーっと景色を見ながら歩く。でもなぜだろう。歩くのには慣れてきたけどやっぱり妙な感じだ。太陽に照らされていて地面も明るいのに、空は夜みたいに真っ暗。地面に立っているのに宇宙にむき出しになっているようで、どうにも居心地が悪い。月の住人になったというよりは、宇宙人になったという感覚の方が強いような気がするのだ。

んんーー……。なんでだろう。なんで地球に立っている時には地球という星にいると思えるのに、月に立っている時には宇宙にいるという感覚の方が強いんだろう。うーーむ……。ツアーガイドさんに質問したかったけど、「どうして僕は宇宙人なんですか?」なんて聞いたらそのまま捕虜にされそうなので、なんとなくモヤモヤしたままツアーを終えたのだった。

 

 

さて、あなたはこの疑問にどう答えるだろうか。

 

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自我の目覚め

 

 

「宇宙服を着ていると外と隔離されているような感じがして、その星にいる気がしないんじゃない?」

たしかに宇宙服は断熱や防護のために相当ガチガチに守られているから、それも一理あるかもしれない。では火星ではどうだろうか。火星でも宇宙服を着なければ人間は生きていられないので、月と同じ条件だ。比較してみよう。まずは月の写真。これはお馴染みのNASAアポロミッションのものだ。

 

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月の昼間の様子 (Apollo 11 Image Gallery / NASA)

 うむ、やはり太陽が当たっていて昼間なのに空は真っ暗。月にいるのに宇宙空間にむき出しでいるような落ち着かなさがある。星条旗を突き立ててはみたものの、どうもイマイチ月を制圧した気がしないバズ・オルドリン飛行士の背中が心なしか不満げである。

 

では、火星はどうか。これは、キュリオシティ(長いので『キュリ男』と僕は呼ぶ)というNASAの火星探査ロボットの自撮り写真だ。

 

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火星の昼間の様子 (Mars Curiosity Image Gallery / NASA)

 ほほう、月と違って昼間の空は真っ暗じゃなく、うっすら赤みがかったなんとも火星らしい空が見えるではないか。宇宙にむき出しでいるという感じはしない。これならたとえ完全防御の宇宙服を着て立っていても、僕は今火星にいるぞ!という実感が持てそうだ。キュリ男も「マジ全力で火星なう、やばたにえん。」とでもつぶやきたげな、自信満々のカメラ目線である*1

 

 

 

 

実はこのような昼間の景色の決定的な違いを生んでいるのは大気である。

僕らの故郷地球でいうと、空が青いのも、夕焼けが赤いのも、もくもくと白い雲ができるのも、遠くの山が霞んで見えるのも、星がチラチラとまたたいて見えるのなんかも、全て大気による演出効果なのだ。ちなみに火星の大気は地球と組成が違うので、空は少し赤みがかったような色をした『赤空』で、逆になんと夕焼けは青い*2。夕焼け、焼けてない。夕醒め。

だから、「僕は今地球にいるぞ!」と言っているときの、その地球は『地球という空間』なのではなく『大気によって演出された宇宙空間』なのである。地球に降り立てばなんとなく地球という空間があると思ったら大間違いだ。もし大気が無ければ月と同様、地球に立っていても宇宙空間にむき出しの状態なのである。

 

 

 

そもそも、地球という空間と宇宙空間の境目なんてものは存在しない。国際的なきまりでは「高度100 kmより上が宇宙空間ね」なんて言っているが、あれは「100 kmなら空気もかなり薄いし、数字のキリも良いし、まあそういうことで」と決めているだけだ。たとえばアメリカ空軍は「わてらは高度80 km以上を宇宙空間と呼びまっせ」と言っていることからも便宜的な線引きに過ぎない。僕が今日から「高度2m以上を宇宙空間と呼びます!みなさんジャンプしたら宇宙に届きます!」と高らかに宣言しても、気が狂った奴だと決めつけてはいけない(気は狂っている)。

さて、こう考えると「僕は今地球にいるぞ!」とか「宇宙空間にやって来たぜ!」とか言っているのもよくよく思うとあんまり意味がないことだとわかる。僕らが地球だと思っている空間は大気がある空間というだけで、広い目で見れば宇宙空間に変わりはないのだ。

 

 

では、満を持して冒頭の宇宙人かもしれない彼の疑問に答えることにしよう。

「どうして僕は宇宙人なんですか?」

「心配しなくていい。君は地球にいる時から実は宇宙空間に住む宇宙人だったんだ。君が地球にいると思っていたのは大気による空間演出に騙されていただけなんだよ。かくいう私も宇宙人だ。今日ツアーに参加している人もみんな宇宙人だ。みんな我々の仲間だ。怖がらなくていい。さあ、我々の星へ帰ろう。」

 

よし、そろそろ本当に捕虜にされそうだ。今回はここで終わることにしよう。

 

*1:キュリオシティ通称キュリ男による火星の360度パノラマ映像。火星に立っている疑似体験ができて最高に楽しい。NASA's Curiosity Mars Rover at Namib Dune (360 view) - YouTube

*2:火星の夕焼けならぬ夕醒め。なんだか神秘的である。キュリ男の先輩のオポチュニティが撮影。What Does a Sunrise/Sunset Look Like on Mars? – NASA Solar System Exploration